老舗喫茶店マスター 秋田俊哉さん

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「いらっしゃいませー!」

 

ドアを開けるやいなや、威勢のいいお出迎え。

暑い日も寒い日も、いつも変わらないシャキンとした声に

「さぁ、くつろがせていただきますよ」と、こちらも気合がはいります。

 

 photo by Satoshi Tominaga

 

秋田 俊哉さん、55歳。

昭和37年に創業した喫茶店「エビアン」の2代目マスターとして

40年間、カウンターに立ち続けてきました。

大きなスピーカーから流れるクラシックをバックに

トーストを焼き、サイフォンに珈琲をおとす仕草は一糸乱れぬ手際のよさ。

もう、ショーをみているかのようです。

 

「俺は主役だ、と思ってやってました。

自分がほれぼれするほどカッコイイな俺、みたいな(笑)

ひとつのショーだもんね、お客さんからみえるわけだから。」

 

しかし、創業から50年の節目を機に俊哉さんは舞台から降りることを決意し

昨年の大晦日、「エビアン」の歴史に幕が下ろされました。

 

「悲しいとかは全然思わなかったね。一生懸命やってきたという自負があったから。

ただ、お客さんには本当に感謝しています。よく飽きずに来てくれたと頭がさがります。」

 

 

 

高等専門学校を卒業後、コンピューター会社に勤務していた俊哉さん。

24歳のとき、両親に店の手伝いを頼まれたのが始まりでした。

「もともと喫茶店をやる気などさらさらなかった」ものの、

自分がやっただけの実力がはっきりみえる世界は挑戦しがいがあると

東京での修業を経て、父・俊雄さんとともにカウンターに立ちます。

 

俊哉さんは自身の修行経験と奥さんのアイディアをもとに

「エビアン」の名物メニューを次々と生み出します。

ホットサンドにドリア、グラタン・・その数、40あまり。

しかし、変化に富んだメニューの中にも決して変えることのないこだわりがありました。

 

「カレーやニンニクを使ったメニューはだしませんでした。

僕は頑として『喫茶店』というものを続けたいなと。

喫茶店にカレーのにおいさせちゃ、せっかくの珈琲の香りが台無しになっちゃうでしょ。」

 

 

 

俊哉さんは喫茶店の香りそのままに「エビアン」の歴史を刻んでいきますが、

40代の頃、これまでにない不安に直面します。

 

「親父が倒れて、自分だけでやらなくちゃいけなくなって。俺できんの?みたいな。

それまでは親父と一緒にやってて“何となく頑張ってたつもり”みたいなものだったから

店開けたらいつも『今日お客さん来なかったらどうしよう』って焦ってた。」

 

 

 

そんな不安な日々から俊哉さんが抜け出せたのは、

「今日にかける」という生き方でした。

 

 

「この仕事してたら特に、今日やらなきゃ駄目なんですよ。

今日珈琲一杯売らないで、何で明日の珈琲につながるのかなって。

一番大事なのは今、だよね。

今の積み重ねが明日だし、1年後、10年後になるんだよね。

だからその一杯に力を注ぐしかない。」

 

 

ランチタイムのお客の多くは、束の間の休息を求める忙しいビジネスマン。

彼らがくつろげるよう“いかに早く美味しく出すか”を考えれば

動きはおのずと、ショーにように。

それが明日への一杯、明日への一皿につながる。

 

「だからお客さんが来てくれたら『ほんとにありがとうございます!』って

もう、あの声になっちゃうよね。」

 

 

たくさんのお客とふれあってきた俊哉さんに

時の流れを感じることはあったかと尋ねたら、こんな答えが返ってきました。

 

「喫茶店でくつろぐ人が少なくなったんじゃないかな。慌ただしいよね。

喫茶店って、チェーン店のカフェとかと違って

落ち着いてゆっくり珈琲を飲みながらマスターや隣の客と話を楽しむ場でもあるんだよね。

携帯電話が普及してからだね、変わったのは。座ったらもう携帯触ってるもん。」

 

一杯に心を尽くしてきたからこそ、一杯を大切に味わってほしい。

俊哉さんならではの言葉です。

 

 

さて、長年立ち続けた舞台を降りた俊哉さんの「今」は?

 

「まずは、ゆっくりと珈琲を飲みたいね。

休みなんて、あってなかったようなものだったから。

だから静かにクラシックが流れるこういう喫茶店で、ゆっくりと。」

 

 

マスター、本当にお疲れ様でした。

そしていつも力を注ぎこんだ一杯を、ごちそうさまでした。

 

(あきた・としや 富山市在住)